さくり、さくり。
男は不審な気配を感じてその場所に足を踏み入れた。
ふわふわと雪が舞う。
明るい月明かりが照らしだした先に佇む、
それは、女だった。
男のように髷を結って高くひっつめた、女だった.
艶やかな黒髪はその瞳と同じく濡れ羽の烏のような色で、ただただ純粋に黒かった。
青白いと言ってもよいほどに血色の無い肌はただ白く、
そのくせ唇は血のように紅かった。
どこぞの家とも知れぬ小紋のついた喪に服する証しの着物は同じく黒く、白く、その女の存在を際立たせていた。
髪飾りの椿がさらりと揺れて、同じくらい紅い女の口唇がくつりと歪んだ。

   こんにちは、よいお天気ですね。
目の前で女は立ち止まって唇を歪めたままそう云った。
かちゃかちゃ、手に持った白磁の壷から小さな小さな音がする。
壷を持つ手も白く、珍しいことに黒い爪紅を塗っている。
   あなた、こんな時間にどうかしたのかい。もう月がでているじゃあないか、はやくお帰りなさい。
   あなたさまこそこんな場所でいかがいたしましたの?ここは、
くるうりと袖を振って白い手を口元に。くすくすと笑んだ。
   墓場じゃあありませんの。
さくりと雪を踏んで一歩前へ。女の横に並ぶような形となった。
眩しいくらいに差し込んだ満月の光が映した自分の影をじいっと見つめた。
隣の女の影は無い。
白目の少ない、どこか獣めいた瞳をきょろりと動かしてこちらを見た。
柔らかに口角を上げて囁く。
   名前は何とおっしゃるの?
   教えてはならぬと云われたよ。
   あら、残念。
どんな時もこの女は笑みを絶やさない。
それは普通なら穏やかさの象徴であるような行為だが、この女に限ってはそうではないようだった。
   ねぇ、ねぇ。
それは恐れるべき笑みだった。
誘うように、詠うように妖艶な笑いを顔に張り付ける。
   ここらで、ひとを見かけてはおりませぬか?
   どんな人だい、
   凡庸なひとですわ。凡庸な、馬鹿みたいに高潔なひと。
   さあ、ここらじゃ見かけんなぁ。
   そうですの。ああいつになれば来て下さるのやら。
   長いこと待っているのかい。
   もう五十年も待っておりますの。早うお会いしたい。
がちゃりとひと際大きく壷から音がした。
その音だけを残して、女の妖は不意に宙へと掻き消えてしまった。

どんなに目を凝らしてももうその髪の一筋さえも見ることは叶わない。
さくさくと男は墓場の奥へ奥へと歩を進めゆく。
黒々とした足跡をつけながら。
耳の奥でがちゃがちゃと白磁の壷が音を立てる。
それを気にも留めず、墓の奥の奥、卒塔婆が乱立する一角に埋もれるようにしてあった古井戸へと向かう。
苔が覆い、石組みは崩れかけてつるべなどとうに朽ちているようなその井戸。
その奥を身を乗り出して見てみれば、そこにあったのは静かな水中にぽつりと落ちる白磁の壷。
引き上げようとそれだけは何とか崩れずその形を保っていた桶を放る。
ごつりと石に木枠がぶつかり、底が抜けるのではないか、縄が切れるのではないかと危惧してみたが、そんなことはなく。
ぎいし、ぎぃと軋みながらも水ごと壷を引き上げた。
でろりと桶の吐き出した水は透明であって尚氷のように冷気をまとい、まるで男を拒むようであった。
ことりと桶から取り出した白磁の壷。
あの女が持っていたものとあまりにそっくりな、それ。
男は躊躇うことなくそれの蓋を取った。
中身は、

白。

白い白いされこうべが、ひとつ。
ごろりと落ちて転がって天を睨めつけた。
降りしきる白い雪の上に、また白く。
  ・・・寒かったろうに。
ふと男が口を開いた。
  そうまでしてお前は誰を待っていたというのか、もう成仏するがいい。
灰色の雲の中に一筋、青白い光が閃いた。
と、ごろごろと厚い雲の上で獣が唸り声を上げ始めた。
どろどろどろと獣は暴れまわり、今にも落ちてしまいそうなほど。
それでも男はその場から離れようとはせずどっかと地べたにあぐらを掻いて座り、懐から数珠を取り出すと口の中で念仏を唱え始めた。
  俺のような僧兵くずれの読む経でよかったらいくらでも聞いていくがいい。
  お前ももう辛かろう、ゆるりと眠るが良い。
されこうべに手を伸ばし、その白を撫でた途端、男の手が触れた場所からぽろぽろと崩れ始めた。
ぽろぽろと、はらはらと。全てが粉のようになった最後には、風に吹かれてどこへともなく飛んでいってしまった。
男はそれを確認すると編み傘を目深に被り直し、もと来た道を歩いて行った。
あとはただ白が埋めるのみ。










さて、ここで閑話休題。
この男、以前は比叡の山奥で僧兵として暮らしておりました。
豪気であり、腕っ節にも自信のあった彼は仲間内からの信頼も厚く何不自由ない生活をしておりました。
しかし、ああ悲しいかな。男は友人に謀られ比叡の山から破門され、今や一人こうして彷徨い歩くのみ。
彼の名は、七松小平太と申します。
弔われなかった遺体を弔い歩く、なれば当然あやかしとも縁がある、しかしてその話はまた後ほど。
お次は、とある坊主とその飼い猫の話。