西のとある城と東のとある城は仲が悪かった。
互いの城主は相手のことが心底嫌いであった。
それでも最近は小競り合いばかりで大した被害も何もなく、領民は平和に暮らしていた。
今より一年ほど昔の話である。
では現在はどうなのか、西の城の城主が病に倒れ、後を継ぐはずの子息は事故で亡くなり、娘はいるものの既に年の頃20を超えており死に別れた夫を偲んでひっそり暮らしている。
無理にでも婿をとらせなければ後を継ぐ者がいなくなってしまうのは目に見えていたが、娘は頑として首を縦に振ろうとしない。
愛想を尽かした家臣はひとり、またひとりと減っていき、城主が息を引き取った晩、これを好機と東の城が攻め込んできた。
病のことは誰にも知らせることの無かったはず、西の城はおおいに惑い、あっという間に領地の半分を取られてしまった。
背後にあったのは長い黒髪をゆるりと結った男であった。
月の薄い夜であった。
霞みかかった雲はうすらに千切れてところどころ月を包むように。
その月明かりのぼやけたような中庭に一人立つは長い黒髪を高く結った男。
何処からかふらりとやってきた彼は、東の城主を試すかのような物言い。
「お前が嫌っている西方の城主は間もなく病で旅立つだろう、その時お前はどうする?」
ひそり、しんと静まった深夜の城内。
地べたにぺたりと足をつけた男は廊下に立つ城主を、月明かりで淡く光る両の眼でぎょろりと睨めあげて言う。
城主は何故か、兵を呼ぼうという気にはなれなかった。
男の言うことがあまりにも突拍子のないことで放心していたこともあるし、これはこの世のものではないと直感していたこともある。
何故ならほら、男の背後にはごろごろ転がる大量のされこうべ。
から、ころ、積み上がったそれが零れて崩れて小さく音を立てる。
ついさっきまでそこにこんなものは無かった。
頬につたう冷汗をぬぐうことも忘れ、
「ぬし、めくらべか?」
ようやくそれだけ言葉を絞りだす。
されこうべの空洞がその言葉で一斉にぎょろりとこちらを向いた。
ぽかりとした眼窩がからから笑って、お前も仲間になれと言う。
無くした顎がかちかち声をあげ、意思を持って見つめている。
思わず出かける悲鳴を押さえて、「お前は何をしにここへ来た」問う。
唯一言葉を持つ男は胡乱な目をしたままで「お前を試しに。」
「さて二度問おう、西方の城主が病で旅立つ時、お前はどうする?」
答えた。
それはめくらべを満足させたのかどうかは知らないが、男はそれだけ聞くとあっという間に掻き消えてしまった。
城主はしばらく恐怖と安堵でがたがた震えていたが、確かにその目には野心の炎が灯っているようだった。
東の国は、終わる。
財も土地も西に奪われ、残るは天守だけ。
兵も誰もいない城内で姫君はひそりと存在していた。
ひとり、そうひとり。
彼女の周りには下女も家臣も誰もいない。皆逃げてしまったことを彼女は知っていた。
姫君には守らねばならないものがあった。逃げてはならなかった。
対峙するのはくだんのめくらべの男である。
「さて、最後にお前を試そう。」
長い髪がゆらゆら揺れて、血色の悪い唇が吊り上がる。
「お前はこれから何をする、お前に俺が手を貸すのはこれまでだ。お前はこの先一人で何をする。」
「何を、おっしゃいますやら。」
面のような表情で姫君は答える。
「私は今から殺されるのです、ただ、それだけです。」
目を伏せて姫君は口角をあげた。
そうか、最後まで見せてもらおうと目の前の闇が嗤って、またひとり。
「殺される、だけです。」
それ以外に意味は無い。
階下で聞こえた小さな悲鳴と燻る煙の臭いに、ああ始まったのだと俯いた。
「火矢を放てぇーい!」
その号令で一斉に天守閣へ向けて火矢を射かける。
放物線を描いて、いくつもいくつも炎の矢が飛んでゆく。
堅固な城といえども小天守は木造であった。じりじりと炎を燻らせていた壁は次第に煙を上げて燃えだす。
小さな炎はじきに大きく成長し、天を衝くほどに外壁を炙る。
白木で出来た美しい壁は今や煤で黒く汚れ、跡形もない。煤を被ったその上を次々と炎が舐め、また新たな模様を作りゆく。
火が放たれたことを知った城内の兵士はさっさと自分の役目を果たし、すぐにでも脱出しようと足を速めた。
外の熱気は中にも伝わっている。
籠ったような熱さに一人の武者は顔を顰めた。
今更城内を探したところで誰もいるまいというのが彼の意見だったからである。
そしてそれは、外れることとなる。
「残るはこの部屋だけだな。」
それは小天守の最も高い部屋。
せまる熱気に後押しされるように兵士達はその重厚な扉を開けた。
目に入ったのは、
螺鈿の細工が施された、上品な鏡台や漆の箪笥。
中央の御簾の向こう、奥には人がいるらしく小さな人影が見える。
熱気は最早耐えられないほどに襲い来る。
壁の隙間からごうごうと燃え盛る炎が顔を覗かせ、ついには床板にも広がった。
ひぃ、小さく声をもらして兵が後ずさる。
荒れ狂うような熱気の中、ひとつ凛と涼やかな声があがった。
「妾の部屋に何用じゃ。」
炎は部屋中を包み、猛り狂ったようにあらゆる物を喰らい尽くしてゆく。
部屋の中央に鎮座する御簾に火がつき、薄いそれはめらりと燃えて消えてしまった。
現われたのは、今しがた武者が斬り殺した筈の姫君であった。
「ばっ、化け物!」
誰かがそんなことを言った。
ごうごう音をたてて燃え盛る炎が、兵達と姫君を隔てている。
「おのれ、怨霊と化したか。撃て、撃てぇっ!」
慌てて矢を射かけるも、ばちばちと音を立てる炎の壁に邪魔されて届かない。
ばくりと全ての矢を飲み込んだ炎は勢いを増し、天井まで届くかという大火となりゆく。
炎の中、その場から微動もせず笑みを深くする姫君は炎にうろたえる敵兵に凛と言った。
「化け物とも怨霊とも好きなように呼ぶが良い。ただ妾はここで声をあげるのみよ。」
妾は、今、此処に在る。
既に死んだはずの姫君は声高らかに笑う。
「お前らに妾が殺せるものか、妾は何度でも我ら一族の悲願のために甦ろう。」
炎は部屋中を舐めるように広がり、むっとした強い熱気が顔を炙るように押し寄せる。
姫の姿は欠片も見えず、ただ凛とした声だけが通りゆく。
兵はうろたえるのみ。そのうち火のついた梁が落ちてくるのに気づき、こぞって城内から逃げ出した。
「きゃははははは、あっははははは!」
未だ姫は高らかに、気がふれたように笑っている。
その声は城外にまで響き渡り、城が燃え尽きる頃、ようやく止んだようだった。
焼け跡からは誰の死体も見つからず、姫の生死は分からぬまま。
兵達は口々に、あれは呪われた城だと、立ち入れば呪われるのだと囁き合った。
これでよいと笑ったのはさて誰であったか。
三郎次の姉は、凛とした女性であった。
何事にも屈せず、筋の通った考え方をする人で、力も男衆に負けないほどだった。
漁師としての腕はいいがのんべえの父と、病弱で気弱な母はあまり三郎次を気に掛ける余裕もなく、三郎次はいつも姉のぴいんと伸びた背中を見て育った。
どんなことがあっても挫けず、いつも笑っていた姉。
強い、と思った。心身共に強い女性だった。
それがどうしてこうなった。
好きなひとが出来たと言った、なのに何故。何故殺されねばならぬのか。
三郎次は口惜しい気持ちになって野原をただひたすら駆けた。
しばらく駆けたところで大きな石につまづき、ばたりと倒れた。
倒れた先に人影があるのは分かっていたから、顔をあげることをせずにただ涙を流した。
「お前の姉さんはこれを選んだんだ、自ら死に向かうことを選んだんだ。」
「違う。」
三郎次は思わず反論した。無論、顔は地についたままである。
「いいや違わない。だが立派な死にざまだった、焼けゆく城の中、気丈に振る舞って見せたんだ。」
「嘘だ。」
自分でも驚くほどに低い声だった。
拭おうともしない涙はだらだらと流れて、地面にどんどん吸い込まれてゆく。
「嫌だ、嘘だ、姉さんを返せ!」
「我が侭な子だ。」
だだをこねるような言葉に、返ってきたのは呆れたような声だった。
やはりこいつは姉さんを愛してなどいなかったのだと三郎次は確信する。
事実がどうであれ、それは三郎次にとって真実であった。
しばらくそこに佇んでいた男はふいと顔を背け、興味を失ったように離れてゆく。
それが悔しくて悔しくて堪らず、思わずおいと声を掛けていた。
なんだ、応えは返ってくる。
男のやけに長い黒髪がふらりと揺れて、こちらを向いたのが分かった。
「お前を殺してやる、いつか絶対、姉さんの仇をとってやる。」
涙と泥に塗れた顔で精一杯の恨みと怒りを込めて睨み、地を這うような声で呪った。
男はそれでもなお涼しい顔で大きな目をきょろりと動かし、
「やってみるがいい、お前が私に追いつけたなら その時は殺されてやるともさ。」
ちいとも三郎次の言葉を信じていないように言う。
そのことすらも三郎次には腹立たしく、男が立ち去った後も地に伏せたままだった。
姉さんが愛しそうに呼んだ名前は、「兵助」。
あの男を忘れるまいと三郎次は記憶にしかと刻み込んだ。
さて後日談。
その後「呪われた城」に立ち入る者など当然いようもなく、風雨に晒されて幾年月。
ごうごう風の鳴く夜に城の跡地に立つ獣がいたそうな。
その容貌恐ろしく、猿のようであり虎のようであり狸のようだったと。
尾のない獣はひゅう、ひょおおと泣いた後、雷鳴轟く中に消えたという。
誰も彼も、己のため、己のため。
それは人もあやかしも同じに御座います。
いくさの情念は渦を巻き、誰も彼もが踊り狂うております。
さあてお次は何にいたしましょ、血なまぐさくおどろおどろしい、鬼の話でも致しましょうか。